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井上 健造 先生 (藤谷耳鼻咽喉科理事長<院長>)
1)告知の衝撃を川柳に詠む美容師 ■マイナーほど腕が振るえる 私は岡山県の海に近い町の、祖父は漁師、父は豆腐屋の家に生まれ、小さいころ中耳炎を患って姫路市の病院に通っていました。父は戦争に行って足に弾を受け、歩くのがちょっと不自由でした。そんなこともあったのでしょうか、両親は私に医者になってもらいたいと思ったようですが、成績はよくなく、医学部に入学したのは 3年間浪人してからです。ところが入学しても下宿でマージャンばかりしていて留年してしまうなど、出来の悪い息子です。 医師としての方向も、内科系は好きではなく、外科系でもマイナーな耳鼻咽喉の分野を選びました。メジャーな分野では担当する仕事が細分化されていておもしろくない、耳鼻咽喉なら幅広いところが扱える、と思ったからです。耳、鼻、口の奥から食道までの咽頭、気管に入るまでの喉頭などさまざまな器官を扱っている分野です。 手術にしても首の手術は腹部の手術に比べて長い時間かかります。血管や神経をきちんと残しながらの手術ですから、乱暴に言えば切って縫うだけの腹部の手術より慎重になります。 8時間や10時間かかる手術はざらにあります。舌の手術では、血管を切るとしゃべったり飲み込みにくくなったりしてしまうので、腕の血管や皮膚を移植する再建手術という極めて細かいこともやります。 中耳炎からガンまでさまざまな病症があるのですが、ガンの告知をするかしないか、するときは患者さんにどのように話すか、これにはずいぶん悩みます。 15年ほど前ですが、私が初めて「ガンのようですから手術をしましょう」と言ったのは、40代の女性の患者さんでした。その当時は、ガンだと分かっていても、医者が患者さんにそれを言うことはあまりありませんでした。神戸大学医学部付属病院に勤務していたときですが、告知すべきかどうかという議論が周辺でようやく始まったころだったでしょうか。 彼女は美容師さんで、明るく、はきはきして、活発な方でした。診察すると、舌が荒れていて舌ガンでした。ご主人には「ガンのようですが大丈夫です」とは伝えましたが、彼女には「ちょっと悪性なので放射線治療をしましょう」と、ガンとは言わずに通院してもらっていました。ところが半年後、頸部リンパ腺に転移していることが分かりました。 「手術しましょうか。2,3カ月もすれば仕事に復帰できますよ」と言うと「小さな美容院ですから仕事を休むのは大変です。先生、病名は何ですか。教えてください」と言われました。 患者さんがうすうすは感じていても、はっきり告知するのは昔もいまも難しいことです。「病気を苦にして飛び降り自殺」というニュースがときおりありますが、この中にはガンと知らされて絶望した、という場合もあります。しかし、言わなければ「なんで手術をするのか。そんな手術は受けたくない」と断られて、治療を進められなくなります。でも告知すると、手術はうまくいっても精神的に落ち込んでしまい、回復が進まないという後遺症をもたらすこともあります。 ■深刻にならないよう告知したが この患者さんは、仕事をしながらお客さんとにぎやかに、明るく会話をされている方なのでしょう。診察室でも、仕事のこと、ご主人のことなどユーモアをたたえながらおもしろく話しておられるので「この人なら病名を言っても受け入れてくれる」と思い、それでも、深刻に受け取られては困るので、世間話を交えながら小 1時間ばかりかけて病状を説明しました。 「先生、私もそう思っていたんですよ。よろしくお願いします」と言ってもらってほっとしました。手術は順調で、3時間ほどで終わり、2カ月後には退院し、仕事に戻られました。私は医師として患者さんへの初めてのガン告知がうまくいったので、安心し、自信も生まれたのですが、それからしばらくして新聞の文化面の川柳の欄にこんな句が掲載されていてびっくりしました。 あなたなら大丈夫だと 病名を告知する主治医 彼女の投稿です。「あなたなら大丈夫だ」と判断してもらった自分の強さを誇っているように読めます。「でもそうではなかった。実は見かけほどではなく、こわがっていた弱い私なのですよ」と告白しているようにも読めます。そして「人を見かけで判断する独りよがりの医者」を批判しているようにも読むことができます。 その後、告知を巡って議論も進み、マスコミが告知の問題をよく取り上げるようになって、医師や家族が変に隠しておくより話した方が治療がうまくいく、という理解が進んできました。ここの成人病センターは、前身が「ガンセンター」という名前だったので、診察を受け、入院する患者さんは、もしかしたらガンかも、という心の準備ができているようですが、でも告知すると半分以上の人が落ち込んでしまいます。 医者は医者の立場で考え、ガン告知をしますが、患者さんはまた別の受けとめ方をするのですね。ガンについての医学は進歩していますが、患者がガンを克服する精神的なケアはまだまだできていません。 そんなことを反省しながら、患者さんにガン告知をするとき、私の胸にはいまも彼女の句が浮かんできます。
ときには、ガンをばかにしながらガンにおびえて乱暴なことをしてしまう患者もいます。こうした患者さんにはつくずく悩まされました。 六〇代の男性で、咽頭ガンが進行していました。「喉頭を全部取る手術しないと直りませんよ」と、声帯も取るので声が出なくなることなども含めて詳しく説明したのですが、患者さんは「それは困る。おれは町会議員で、三カ月後に選挙がある。演説できないと落選する」と猛烈に反対しました。 「命より選挙の方が大切なのですか」と説得したのですが「支持者もおることだし、いまは選挙をなんとか乗り切ることが先決だ」と聞き入れてもらえません。「こんな状態では、たとえ選挙に当選しても町民に迷惑をかけることになりますよ。いまは健康を回復することに専念しなさい」といっても聞いてくれません。町会議員でも勢力争いは命懸けなのでしょうかね。 「どうしても手術をしたくないと言うのであれば、抗ガン剤と放射線治療をしましょう。でもこれは一年くらいの時間稼ぎに過ぎませんよ」と抗ガン剤治療を始めました。腫瘍が小さくなるなどの効果はあったのですが、吐き気などの副作用があります。いまは副作用を押さえる薬がありますが、当時はいい薬がなかったので、人によっては食べ物を見ただけで吐き気に苦しむこともありました。 「なんでこんなつらいことをするんや。おまえら、もうちょっと楽な治療ができんのか」と看護婦さんにも当たり散らすようになりました。あまりにも乱暴なので病院から出してほしいという声もあったのですが、しばらくすると今度は同室の患者さんに「あんたはわしと同じ治療を受けているやろ。わしはガンで助からんと言われた。あんたも助からん」と言い回るようになりました。私は「手術をしないと助からない」と言ったのですが、そのところを故意に省略して、ほかの患者さんに余計な不安を与えているのです。 そこで「そういう言い方は周りの患者さんの迷惑になる。改めてもらわないと困る。でなければ退院してもらうことになる」と申し入れると、返事もしないで、退院手続きも取らないで帰ってしまいました。後で聞くと、周りの患者さんには「こんな病院にはいたくない。二度と治療してもらいたくない」と言っていたそうです。 ■トラブル起こして病院から逃走 そんな形で治療が中断していましたが、二年近く後になって、ひょっこり現れました。手術をしなければ一年位しかもたないと見ていたので、よくまあ生きていたなあ、と思いました。しかし、ガンは肺にまで転移していてひどい状態でした。 「これ、どないかしてくれ」と言うのですが、私としては「ちょっと待ってくれ。こんな病院では治療してもらいたくはないと言って帰ったんやないか」と言わざるを得ませんでした。でも「いやあ、こないなったらお願いします」と言うので「きちんと治療を受けてください。看護婦さんやほかの患者さんに迷惑をかけるようなことはしないでください」と約束させて入院させました。 「抗ガン剤の副作用はつらいけど、一週間もすれば楽になる一過性だからがまんしてくださいよ。副作用があった方が効き目があるのですからね」とこんども詳しく話をして協力を求めたのですが、やっぱりだめでした。まったく前と同じで、看護婦さんや周りの患者さんに当たり散らしました。 家族の方にも同じように話して、本人を説得し、治療に協力させててください、とお願いしたのですが、ところがこの家族は、本人と同じように、医者が悪い、看護婦が悪いと言い散らしていました。 たいがいの家族は、私たちの話を聞いて、治療に協力するように本人をなだめ、励ますのですが、中には患者と一緒になってわがままを言ったり、周囲に当たり散らしてトラブルを巻き起こす家族がいます。また「私たち家族が何を言っても聞きませんから、もう本人がしたいようにさせておいてください」と言う家族もあります。どちらにしてもこうした家族は医者泣かせですね。 結局、元町会議員のこの患者さんは、前と同じように病棟内にトラブルを巻き起こして、ある日突然いなくなってしまいました。しばらくは「どうしているかな。あのままでは長くはもたないだろうに」と同僚とうわさしていたのですが、忙しさに紛れて忘れてしまいました。でも、ときおりわがままな患者さんが現れると、あの、こりない患者さんを思い出します。
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